東京都 世田谷区 立原町子 私の冷えとり体験記
私と理学気功との出会い━━ それは去年の今ごろ(2004年冬)から発症したであろう子宮内膜症から、━━すべてが始まったと言えます。
私の症状は、程度の進んだ中期の状態で卵巣などにも癒着していたため、薬を服用しても効かなかったら、すぐに偽閉経のホルモン剤の使用を勧められました。昼も夜も痛みで苦しむ中...一体この状態はいつまで続くのか?? もう子供は望めない。。という絶望感の中で、痛み止めを飲んでも効かない━━ そんな日々が約40日間続きました。ネットで調べると、ホルモン剤は頭痛や吐き気など副作用がひどく、本当に苦しむそうでとても抵抗があり━━ でも何かきっと‥‥治る方法があるはず‥‥とワラをもつかむ想いでたどり着いたのが、この理学気功のページでした。意識も朦朧としていた中で、同年代、症状も似た女性の体験談を読み、直感的に...「私はこれできっと治る!!」となぜか思えました。本当に最後の頼みだったのです。
初めての施術で、先生にそっと身体を温めて頂いて.... 私の体はウソのように生き返りました。痛みがひどくて、顔面蒼白状態だったのが...みるみるうちに頬が桜色になって、血が通い始めたのです。そして終わる頃には... どんなに薬を飲んでも収まらなかった痛みがピタッ‥‥と止んで、普通に歩いて帰ることが出来たのです。。。
先生が優しく....「治りますよ。。。子供も産めますよ。」と言ってくだった事が、本当に本当にうれしくて、思わず涙があふれてきました。
その日以来、私の冷えとり生活がスタートしました。痛みが止まった事ですっかりうれしくなり、____毎日30分以上の半身浴とくつ下5枚の重ね履き、根菜類中心の食生活を心がけていたところ、施術院に3〜4回通って2ヶ月程たったあの日の夜、突然、右足指が寝ている時にチクチクと痛み始めました。日に日にその痛みは強くなり、ある朝見てみると、右足指(中指と薬指)が膿んでいました。。先生にきくと、その指は、私の体の弱っている部分..... ここから毒が出ていってるの??... と不思議に思いました。
その約1ヶ月後に、左足指も膿んできて.... 両足指がどんどん激しく痛みを増し、一時は燃えるような痛みで、夜中に呼吸が荒くなる程に━━ 横になると昼夜を問わず、それは続き、思わず先生に助けを求めました。すると、「耐えられないまでにはならないので、大丈夫ですよ! どんどん毒は出ていっているので順調ですよ。私がついていますから。」━━その言葉を頼りに支えにしながら、日々、毒出しをしていきました。
その後はお風呂で温めると、足指がパンパンにふくれあがり、くつ下を履くのも一苦労、まるでしもやけのような痛みがゆさ、そして痛みと共に毒出しをしていくと、なぜか足指が細くなっている━━ きっと毒が出たのかもしれない....そう思いました。それをくり返し、ついには家の中でも歩くのに大変になってきました。もう、このまま外に出られなくしまうのか? と思ったりもしました。
しかしそんな中で先生が、「毒出しの大変な中でも、少し冷静になれる自分が、きっと出てきますよ。。。そして少しつづ、その痛みが気にならなくなってきますよ。」と言って下さって、本当にそうなれるのかしら? と思いました。
━━でも、本格的な毒出しが始まって2ヶ月程経ったある日、気がつくと‥‥痛みがあまり気にならなくなっていました。。。確かに自分でも「もう私は歩けない。外へ出られないからイヤだ...」と思っていたのを「外で痛くなって歩けなくなっても別にいいじゃない。」と、意識的に思ったから...かもしれません。
少しづつ、少しづつ...痛みが痛みがなくなっていき....毒出しはある意味、運動しているかのような感覚になってきました。そして更に「毒がどんどん出ていってくれますように...」と思えば思う程、まるで体がそれに応えるかのように...出ていってくれました。「思ったように体は反応するのだなあ。。」 心と体はつながっていることを確信しました。
毒出しは足指だけではありませんでした。足指の激しい毒出しの最中は、感情も高ぶりイライラして母にあたったりしました。特に生理の前兆や最中はひどくなり、最初の頃はどうしてだろう? と、とても不思議でしたが.... 先生に感情の毒出しと教えて頂いてからは、自覚して、少し楽に思えるようになりました。更に発熱や頭痛、突然口がはれたり、皮膚のかぶれや抜け毛、口の中に血豆が突然できてすぐに消えたり....と毒出しの症状は様々です。生理も冷えとりを始めてから、黒っぽい血へと変化し、どんどん少量となっていき、5ヶ月程するともう何も出なくなり、今は止まったままです。━━ きっと体が良くなろう....として毒が出て、少しずつ変化していっているのだと思いました。
食事に関しても、冷えとりを始めた直後は、肉、パン好きの私にとって、和食中心の生活は困難でした。お肉が食べたくて禁断症状が出て、ステーキをたくさん食べた事もあります。でも冷えとりを始めて、3.4ヶ月たち、食欲に波はありましたが、日を追うごとに、甘い物や油物を体が受けつけなくなっていき....そうなると、もはやあまり食べたくはなくなってくるようです。
やっぱりここでも....「心と体はつながっている..」そう思いました。今では、玄米と野菜の蒸し物がおいしくて仕方ありません。
その後、暑い夏に突入して...日々たっぷりと汗をかきながら毒を出していく毎日が続き━━ 冷えとりを始めて、半年が経ちました。毒出しの安定期?! とでも言うのでしょうか? すべての症状を毒出しと受け入れ気にしなくなってきたら....どんどんと体が動けるようになっていき、外出もできるようになっていきました。
以前先生が「毒がどんどん出ていくと、本来なら体は軽くなって、動けるようになるモノですよ。。やせた事を気にしている人はストレスで動けなくなったりしますから。。。」と言って下さったことを思い出し━━ あれは、本当だったのだと確信し、以来「思うように....なるものですよ。」という先生の言葉が今でも私の心の支えとなっています。ちなみに私は冷えとりで10kg近くやせましたが、あまり気にしないでいた事が良かったように思えます。
そして気がついたら、私の心は本当に安らかに穏やかに、自然と変化していきました。。以前は自己中心的で傲慢で、何より心配性で....そんな自分がイヤに思える事がよくありました。━━でも、温まっていると.... 不思議と心が落ち着くのです。そして気がつくと━━ 自然と周りへの感謝の気持ちが芽生えはじめ、心から他人のことを想えるような自分へと変わっていっていました。そして施術院へ行く度に、何とも言えない晴れやかな気分になれる事が、どんどん自分が生まれ変わっていくようで...とても楽しみになっていきました。
冷えとりを始めて....9ヶ月程たちました。温めると、体は下半身がだるくなったり、頭痛もひどくなりましたが、それほど変化がなかったので、少し物足りなさを感じていました。そんな時、ふとした切っ掛けで「このまま本当に治るのか?」という今までにない不安で眠れない夜が続き...ある晩どうしようもなくなって、思わず「助けてください...」と祈りました。
━━すると、夢の中に幼い頃病死した父が現れて..私を救ってくれたのです━━ ずっとずっと胸に秘めていた父への想い.... 「私、お父さんと同じデザインの仕事してきたよ。。でも大変で、途中で辞めてしまったの。。」と告白しました。すると父は、「まあ。。いいんじゃないか。。」と、そっと優しく私を受け入れてくれたのです。その瞬間に、今まで不安でドキドキしていた心が、スーッと楽になって落ち着いたのです。。。それと同時に「父は、私の側にいてくれるから、もう大丈夫なんだ。。。」と確信できました。 ....父からの愛を受けられたのだって....
私は、父が亡くなってから今まで生きてきた20年以上もの長い間...ずっと「父に...父に自分を受け入れて欲しかったんだ。」と気づかされました。そして、今までの感情の毒出し━━母に対してイライラをぶつきていた事━━も、より多くの愛情を求めていたのだ...と感じました。
先生にも「心の奥底にある魂の冷えが出たのですね...」 そう言われて、本当にその通りだなあ..と強く思いました。
それ以来、━━温めれば温める程、多くの気づきが次々と出てきました。まずは...何でも一生懸命にやりすぎてしまう自分の性格━━ これは世間や友人の誰からでもなく、「父」に認めてもらいたかったのだということ。「母」だけでは心の溝は埋まっていなかったのです。更に....自分の付き合う人に「父」を重ね合わせて、理想の父親像を描いていた...ということ。父を知らないだけに、父親になる人は何でも出来る男性でなくてはならない....と勝手に決めて、それを彼に求め過ぎていたのです。
母に一連の事を話すと━━ 優しく包み込むように、私の心を受け入れてくれました。女手ひとつで私と弟を育ててきた母は、...私が長女なだけに、幼い頃から父の事に関しては、母に気をつかって我慢している様子だった事を気にしていたようでした。
母もできる限り、父のことを今まで話したかったそうですが、私は「母が悲しむだろうから、あまり聞いてはいけない。。」と何十年の間、心にフタをしてしまっていました。そのため友人との会話で父の話が出てくると、ドキドキしたり、昔の父の写真を見ても、心から見ることは出来ず、思わず目を背けたいような、そんな気がしました。
でもこの件があってから━━ 私はようやく「父」のことを、素直にまっすぐに想えるようになったのです。━━先生に「ずっとずっと我慢すれば...って思っていたのですね。。」 そう言われて、あまりに的を射ていたので、思わず泣き出しそうになりました。「町子さんの父親像は、幼い頃、お父さまが亡くなった時のままで止まってしまっているのです。ですから父は初めての異性であるし、それが描けなくて、周りや相手に求めてしまうのは仕方のない事です。でもこれからは、お母様と日々対話をして、ひとつひとつ紐解いていけば大丈夫ですよ....」 先生の言葉のひとつひとつが、心にしみこんでいきました。
先生もとっても喜んでくださったこと....心からうれしかったです。「先生は何でもわかってくださる。。いつでも私の側にいらしてくれる」 そう感じました。
それからの日々━━ それは自分自身が、まるでタイムスリップしていくような、そんな不思議な感覚でした━━ 昔の父の姿をアルバムで見ながら...母との結婚までの話や想い出の地のこと、母が今でも心に残っている父の言葉。。。そのひとつひとつを聞いていくうちに、今まで描けていなかった父親の姿が、ぼんやりとおぼろげながら....浮かびあがってきました。
そうしたら...自分の中の絡み合ったモノが1本づつ解かれていくような、そんな気がして...それと同時に「あ、それでいいんだ... 父もひとりの人間であり、強いところもあれば弱いところもある...完璧ではないんだ...」と思いました。そして私も父のような人(とても繊細で感受性が強くて...あまり社交的ではなかった... でも誠実で、きちんと思いを伝えてくれる...)そんな人と一緒に過ごせたらと思いました。
そして、それが何となく解っていくにつれて━━ これから誰かとお付き合いできたら...その人に対して今までの様には求め過ぎない...その人自身をちゃんと受け入れられそうな...そんな温かな気持ちになることが出来ました。
さてその間不思議だったのは...母への愛情の求め方です。ひとつひとつの事を気づく前には、必ず不安で落ち着かなくなり....母に手を握ってもらい、話を聞いてもらわないと...それが収まらなかったです。時には、母が外出して1人になるのが怖くなり、幼い頃そうした様に、おみやげをせがんでしまう事もありました。━━ 本当に自分は子供の頃に戻っている━━ そんな気がしました。
その後も聞けば聞くほど父への想いは強くなり....「父をもっと知りたい」と想うようになりました。父の形見や残してくれた作品を、家族写真を大切に飾り....何十年の空白を一気に埋めようとして、少々疲れてしまいました...(笑)
でもその甲斐あってなのか? さらに温めていったら、「弟はまさに父の同性の分身なのだから、弟を見ていれば、父を感じる事ができる...父子なのだから。。」そう気づき、父と子は繋がっている..そして私も、母も、弟も...深く繋がっているんだ...今まで家族は3人だと思っていたけれど、父、母、弟、私の4人なんだ..と、今まで感じたことのない一体感を心から感じて...お風呂の中で泣いてしまいました。。
そして弟も私も持っている、繊細で感受性の強い部分を━━ 今までそういう部分は、自分では好きではなくて隠し続けてきたけれど━━ これからは父から受け継いだ、たった一つの部分として、大切に...大切にしていこうと心に決めました。
冷えとりを始めてから...10ヶ月程経ちました。体の変化は1年前とは比べものにならないくらい、みるみると元気になり、もはや自分が病気であることを忘れてしまうかでもありました。その一方で、温めると下半身が以前よりもだるくなりましたが、食事に関しては、外食のものはお腹をこわしてしまい、家の食事が一番安心できるようになってきました。
その頃...又、大きな気づきがありました。最近、何気なく部屋のインテリアや雑貨の飾り方を考えることが、ごくごく自然に楽しんで出来ていて...そんな中、それにまつわる「モノづくり」も、気がつくと、心から楽しんですいすいとしていました。
・・・どうして、こんなにも楽しめるようになったのだろう?? 今まで長い間デザインの仕事を続けていて...私はその殆どを苦しみ、悩みながら「モノ」をつくっていた━━ それが幼い頃、家で絵を描く事が好きで仕方なかった時の様に....自然に楽しんでいるのです。次の瞬間...「私は今まで人にどう思われるか? を常に気にしながら「モノづくり」をしていたのではないか?」ということに気づきました。・・・だから頭が固くなってしまい、生み出すことが苦しみだった━━ だから、こんなに頑張ってつくったのだから、人に「評価してほしい。褒めてほしい...」という思いが人一倍強くて、それがストレスになっていたのだ...とわかったのです。
「モノ」をつくる本人が本当に楽しんでいたら....人からどう思われようと全く関係ない...のですね。お花の仕事をして「モノづくり」をいつも心から楽しんでいた母は、まさにそう...でした。幼い頃からそんな母をみてきて...「私もそうなりたいなあ。。」と、うっすら思い描いてきました。そしてようやく今になって...そんな母の気持ちを自分も味わえた様な気がして...本当に本当にうれしかったです。分野は違っても...「モノ」をつくる気持ちは同じ...なのですね...
そしてそんな中、母との合作が生まれました━━ 叔母のレストランに置くWelcomボードです。私のデザインと母の形にする技術とセンスがひとつになり...それは本当に心通えるもの、となりました。親子だから言い合うことができ、親子だから言わなくても解り合えるのだなあと感じました。
そしてそれと同時に....私は「父と母の両方の血を受け継いでいるのだ。。」と確信しました。「つくること」━━デザイナーの血は、亡き父だけから受け継いだものではなく、その感覚は、幼い頃からの、花をつくる仕事をしていた母からの贈り物でもあるんだなあ...と気づいたのです。
改めて...改めてそんな父と母から生を受けたことに、心から感謝したい...そう思いました。そしてこれからも、その感覚を大切に、大切にしていきたい..と思いました。
先生が言って下さった、
「こころは、とても奥行きがあります。毒は呼吸のように出し入れするものと考えてください。それが活きていく...ということかもしれません。その中でこそ、感じられるものがあるのです。だからこそ、あなたは今、痛みを感じながらも慶びを感じない日はないのです。。」
この言葉が、とても、とても、うれしかったです。
毒出しは、パワーのいることです。特にこれらの感情の毒出しは目に見えないモノなので、出てくるまで温める度にイライラが何ヶ月も続いたり、言いようもなく不安でドキドキしたり...何かを我慢して食べ過ぎてしまったり...と大変な思いをしたりします。でも、それを乗り越えると.... こんなにも大きな喜びが待っているのですね! 毒を出す度に、心の奥底にある一つ一つのつかえが出ていって...本当に不思議と..ラクになっていくのです。そして、いざ思い返してみると....毒が出るまでの過程は、ちゃんと一つ一つに意味を持っていて....出た途端に「あ、やっぱりそうだったんだ」と気づき、一つの線で繋がっていくのです。
まさに今まで生きてきた私の人生が、今この瞬間に一つの線でつながって....私自身が生まれかわっていきました。
冷えとりは、理学気功は....まるで魔法のようです。本当に心から、毎日をこんなに幸せに思えるようになるとは...夢にも思ってませんでした。もうすぐ冷えとりを始めて一年たちますが、萱沼先生には、本当に感謝して止まない日々です。これからも、冷えとりを続けて体が元気になっていければと思います。
そしてこの体験談が少しでも、多くの人たちの目に留まって、その方のお力添えになれば..と心から願う気持ちでいっぱいです。最後になりましたが、私の体験談を読んでくださり、本当にありがとうございました。 |