私自身がかつて20代の頃に3ヵ所の大学病院で「自律神経失調症」という診断を受けたことが、この病名との初めての出会いだったことを、まず皆さんに知っていただきたいと思います。
詳しくは差し控えますが、かなり精神的にもつらい時期だったことは確かです。 皆さんが最も辛い事のひとつには周囲の家族などの人たちの、「症状に対する理解の希薄さ」が挙げられるのではないかと思います。
元もと、現代医学では特定の病名の付かない復数の症状が複合した状況を、ひとまとめにした、便宜的な言葉のような気がします。つまりは、現代医学では明確な施術法は確立していないと言う事です。いわゆる「不定愁訴」ですね。症状だけ挙げたら10や20はすぐ出る人が珍しくありません。内科、婦人科、泌尿器科、耳鼻科、眼科、整形外科、循環器科・・・・と、症状に合わせた専門外来を訪ねても、投薬の副作用と検査に拠るストレスで反って自覚症状が増えていくだけです。挙句には「気のせい」だとされるのが落ちで、「心療内科」などといっても、結局のところ精神安定剤という薬で症状を抑えるだけで、従来の神経・精神科の呼び方を変えてイメージチェンジを図っているに過ぎません。私は怒っているんです。もう、ウンザリです。
断食からすべてが始まった
今日までの8年間の臨床において、確信して言えることがあります。現代医学的なアプローチで本質的な治癒を経験した人はひとりもいません。数千例の中でも只のひとりもいないのですから、これからも現れることはないでしょう。
私自身を例にとれば、症状が治まるきっかけは1週間の「断食」だったわけですが、その短期間にもっとも変わった部分が「間違った常識」に囚われて不自由になっていた「自分自身のこころの持ち方」だったように思います。「断食」という非日常によって自分の中に「自分を信じ、自分をコントロールする自由」を得たわけです。
本来人間には、自分の心とからだの状態を的確に感知する能力が当たり前にあるのです。それを狂わせた原因は自分自身にあるはずで、突発的なものでも不運が作用しているわけでもありません。数万年の人類の歴史で言えば、「飢えている」状態が普通で、常に「満腹な」状態を経験したのは、ほんの数10年のことなのです。したがって、「飢え」に対する心身の防御システムは十分に備わっているとみるのが妥当です。なぜなら、今、私たちはここにこうして存在しているからです。
ところが、私たち人類の「満腹状態」に対する心身のシステムは全くないのです。たった数10年で食習慣が余りに変わってしまった為にからだはついて来れないでいます。あらゆる機能が退化してしまったと言っていいでしょう。「断食」という模擬的飢餓状態に拠って、凍り付いていた「潜在能力」が「覚醒」したのだ、と私は感じます。
それなら、「断食」すれば「自律神経失調症」が治るのか? と言えば、話はそう単純ではありません。管理された状況で数日間の「断食」を行っただけでは「覚醒」しません。その行為自体はきっかけに過ぎないのです。それをきっかけに食生活全般が変わらないと意味はないのです。
どうです? 日常生活を続けながら、いきなり食事の摂取量を半分にしたら、どんな事になるか? 想像がつくでしょう! ほとんどの人はすぐに元もとの食習慣に戻ってしまうので、目に見える変化はなかなか起きにくいのが実情です。
しかし、諦めるには及びません。最小限の努力でその習慣でさえ変えられるのです。もう「断食」など必要ありません。からだの「毒素」を出しやすくする システムも「理学気功」
の特徴です。「毒素」が排拙されると自然に「食欲」さえ落ち着いてしまいます。信じられないかもしれませんが、事実です。ひとつの理由として「心の状態」が変わることが上げられます。心理的症状の変化が「自律神経失調症」の改善には絶対不可欠ですが、心身総合的なアプローチでなければいけません。それが出来るのが、理学気功なのです。 |